明治時代、現在のような“お醤油の汁で煮込んだおでん”が東京で定着するようになりましたが、大正時代になると関西にも伝わったとされています。
東京の料理人によって大阪に持ち込まれた煮込みおでんは、味噌だれのおでんの『田楽』と区別して、『関東煮(かんとだき)』と呼ばれるようになりました。最初は『かんとうだき』と呼んでいたのが、『かんとだき』になったそうです。関西では“煮る”ことを“炊く”といいますが、同じように『かんとだき』と呼んでいるそうです。
そんな『関東煮』ですが、その後、様々な工夫や改良がされていきます。そして1923年(大正12年)、関東大震災によって東京を中心に大きな被害が出た時、関西からたくさんの料理人が東京に駆けつけて、炊き出しとして被災者の方々にふるまったとされています。つまり、東京で生まれたおでんが大阪で進化して、再び東京に戻って来たことになります。
こうした『関東風のおでん』と『関東煮』の違いですが、1つは味付けです。関東風は、濃口醤油とかつお節。関東煮は、薄口醤油とかつお節をベースにして味付けします。
https://news.nifty.com/article/item/neta/12245-991404/
2021年03月09日 08時15分 ニッポン放送 NEWS ONLINE
https://www.maruetsu.co.jp/recipe/cookimg/3803.jpg
https://www.markpeke21.com/wp-content/uploads/2019/03/141115052020_TP_V.jpg
引用元: ・『関東風おでん』と『関東煮(かんとだき)』の違いって? [砂漠のマスカレード★]
ちくわぶはいらない
アレは貧乏くさい
汁もっと黒くないといかんよ
おでんの起源は韓国の英雄キム・オデンな
この番組は、
ニッポン放送と毎日放送(MBSラジオ)に、
流れていますね。
>関東煮は、薄口醤油とかつお節をベースにして味付けします。
そこは昆布違うんかーい
関東の物は全て関西のパクリであって欲しいという関西人の願望でしょ
>>1でも大阪がおでんを進化させたと主張してるけど具体的に何をどう変えたのかは全く謎
これも関東の物は関西の影響下であって欲しいという願望
関東といえば満州、満州といえば関東だから満州の事ではなかったのか…
蕎麦も関東とそれ以外で区別した方がいい
蕎麦の麺の風味を楽しむのが日本全国の普通の「蕎麦」で
かえし重視でそばつゆと酒を楽しむ料理が「関東風蕎麦」
地方人が東京に来て「関東風蕎麦」を食べて
あまりにも不味過ぎる東京の老舗蕎麦店の蕎麦の麺に
失望するという事態をこれ以上繰り返すのは不幸
「関東風蕎麦」は蕎麦の麺の風味なんかどうでもよくて
そばつゆを酒と一緒に楽しむ別料理だと思った方がいい
>>394
水が不味いとこの蕎麦は不味いね
天ぷらそばの抜きとかもあるしね
どこの店がまずかったか言ってみて自分の体験で
蕎麦の風味を楽しむために蕎麦の風味に負けない濃い口醤油をちょこっとつけて食べるのが関東
蕎麦をジャブジャブ汁に浸して汁もゴクゴク飲むのが大阪
ゴクゴク飲む文化って京都なんだよね
大阪は水が硬かったから違った可能性が高いんだよね
創業時はおでんを作ってなかったって自分たちで言ってるんだよね
https://takoume.jp/kita/1452.html
>たこ梅では、中国広東の煮込み料理に由来する説を採っていて、
>>2代目が広東の煮込み料理を見て、おでんにしたと伝わっています。
そりゃ創業時鎖国だからな
ちょっと笑った
関東やない広東や
京極さん乙
大阪じゃなく大阪民国、阪国だよなw
流石にそれは日本に住んでるのか?
俺も初めて聞いたな、おでんはおでんだろ
特別特徴がある広島スタイルのお好み焼きを区別するのはわかるし味噌ベースの一部おでんを区別するのもわかるが
しぞーかおでんとか他地方にも特色あるおでんはあるから
区別するのにそう言ってるのかと思った
広東炊きだろ そう山陰地方の人から聞いたぞ
美味しんぼでもそうあった気がする
美味しんぼでおでんって関西から戻った関西煮だろ
平行世界があったのかもしれんな
広島風お好み焼きと同じって事か?
でもさ、広島風は客が適当に作るのは無理な「料理」で、
関西風はそこらの汚いガキでも適当に作れちゃう「駄菓子」だろ?
食べ物としての格が違うから、同じ土俵で本物ニセモノって区別はすべきじゃないと思うんだ。
格というより大阪のお好み焼き(や、たこ焼き)は子供のおやつだから敷居が低いのよ。
一体感の無い未完成な食い物が広島焼き
朝鮮人みたいになんでも混ぜて食うのがいいのか?
もんじゃ……
んな事言ったらお座敷遊びのままごと料理にソバだのなんだのとぶち混んで嵩ましした広島焼きのが粋じゃないだろ
大阪のお好み焼きは一銭洋食が元なんだから駄菓子って点じゃおでんと似たようなもんじゃん
一銭洋食よりお好み焼きの方が古いよ
知ってるよ
ネギ味噌の元祖と格安路線に走った大阪のお好み焼きの古さを比べたいんじゃなくて、おでんと大阪のお好み焼きがどっちも駄菓子として大衆になじんできたって言いたかったんだよ
どんどん焼きだな古いのは
どんどん焼きは
東京のお好み焼き屋さんがどんどん音を鳴らして移動してたから
子供がよんだ呼び方
昭和初期だな、たぶん
亡くなった父が、卵入れないで桜エビと玉ねぎと
紅ショウガを小麦粉と混ぜて薄く焼いたのを
「ほら、どんどん焼きだよ」と言って出してた
だまれコロスぞ雑魚
そうやって広島のお好み焼きをdisるけど人気度は広島の方が高いんだよな
原爆焼きのどこがいいのかわからん。
人殺しかな君
お好み焼きは染太郎が最初
関西の混ぜ焼きは関西チヂミだろ
広島で食べればお好み焼き
広島風はつかない本物
他所でだすそれっぽいのが広島風
広島の方が古いよ
関東のどんどん焼き→広島のお好み焼き→大阪のお好み焼き
関西のお好み焼きは広島のものを簡略化したようなものとも言えなくもないし
これを晩ご飯にするの勘弁して欲しかった
「白醤油」と言う琥珀色の醤油を使っている店もあるね。
自宅でおでんを炊くときは「白だし」オンリーで昆布と干しシイタケを使うなあ。
入れる具財でダシも出るので、それ次第かな。
白だしだけだと平べったい味になる
ちょっとだけオイスターソースを入れると深みが出ておいしいぞ
その白醤油はなぜか愛知県の三河地方の産物なんよなあ
よお、朝鮮爺さんw
関東煮って時点で単純に関東が見下されてるって事だろw
自分で作ったことが無いだろ
おでん種揃えると結構な金額になる
何かを見下さないと自信を持てない料理ばかりの地域って貧しいねw
コンビニのおでんしか食ったことのない無職ニートさんですか
コンビニの「おでん」は関東発の関東の煮物でしょうか。
中国語で「関東煮」と訳されております。なぜこのように訳されたのか興味があります。
ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。
ほら中国人が関東煮と訳されてるって
まったくの推測だけど
明治大正期の中国との主要窓口は、航路があった九州・神戸
なので、そのあたりの居留中国人から言葉が輸入されたんじゃないかなぁ
台湾も関東煮だったから、中華圏のおでん=関東煮なのかも
関西のおでん=朝鮮煮
なぜかって?
コンビニが呼び名を決めたんだろうよw
台湾では前から関東煮と呼ばれてた。これは日本統治由来じゃないかな。
その後セブンが中国に進出する時に台湾でのノウハウを使用したか、台湾の統一超商自身が中国でもフランチャイズをやったのかもしれない。
盛って出てくるイメージ
関西出身の店主がやってた居酒屋がそんな感じだったから
その違いだと今の今まで思っていたよ
おでん(関西風)と関東炊き(関西風おでん)は別メニューで
おでんは選んだ具材が大鍋から皿に盛られて出てきて
関東炊きは金沢の治部煮みたいに決まった具材が
一人前づつ皿に盛られて出てきてた
関東煮と呼ばれ始めた頃のおでんは
そんなに多種の種が無かったからだろうね
信じられないことにちくわぶは関東煮にあったみたいだけど
関東って梅焼きないの?
そうでないと中国人が関東煮と呼ばないだろ
おでん=読めない、何だこのミミズ文字
関東煮=読めるし書ける
ただこれだけだろ
「いや」ってなんなん?
>>27
その形が田楽能の道具に似てたことから田楽またはお田楽といわれ、やがておでんといわれるようになった
これが東京に伝わり煮物に変わった
それが関西に逆輸入されて関東の焚き物、関東炊きといわれた
それが関西風にアレンジされて元々のおでんといわれるようになった
そのおでんが再び関東に伝わり、さらに関東風の味付けになった
それが関東風おでん
「おでん」は豆腐料理「田楽」の異称であり、14世紀にはこの文字が見られる[10]。
江戸時代、江戸では味噌田楽が庶民に親しまれ、直方体の豆腐を串に刺したものを焼いてから味噌を付けて食べるものが江戸名物となっていた[注 1]。
1782年 には『豆腐百珍』が発行され、豆腐田楽が絵図に記載されている[11][注 2]。
中国人も関東煮と呼ぶなら
語源は関西ではないんじゃないかな
あれは東京の関西風おでん
『串に刺さった、こんにゃく、がんも、ちくわ』
あれちくわじゃないよ
全国からの料理人もお前の好きなチョーセン人やBも受け入れてたのが大阪
関東の他道府県見下し根性は一生治らんのかね 。
自分たちも関東という{地方}に居まがら他の地域を
地方と見下して呼ぶ根性の醜さ汚さはむしずが走る。
畿内・上方から見下されてたのが関東
あの中華にもこんにゃくはない
なぜそこまでしてあれを量産しようと思ったのかw
すごい手間かけて栄養無いと来たもんだ
じゃ結局、京都の田楽豆腐が発祥なのか
美味しくないよな
地域で味を変えてるのかね
大阪のは薄い色の出汁だわな
ズバリ、味は異なもの、味なもの
縁は異なもの~をもじって幼少のみぎりよりおれは聞かされ育った。
昔は地域の寄り合いという行事があって、家庭のかかあさんらが
総出で作ったものだ。醤油の味加減一つで変わる日本独特の料理?
いや、関東だけの話か?。いままでセブン/ローソンのはおでん、
家庭料理は煮だきとばかり思っておったわ。
大阪に大阪焼きなどない
>>64
京都に西京焼き(西京漬)は無い!
・・・・・と、言いたいがこの名で呼ぶ奴や店が京都でも
出てきてるんだよね・・・・・・
もとは、江戸が東京となった時に江戸民が「こっちは
東京だからそっちは西京」と勝手に呼んだからだけど。
「白味噌」使った料理で、京都では「味噌焼き」
「白味噌焼き」とよんでる。
西京大学と自分たちで名乗った黒歴史をお忘れかな?
だから再改名して名前変えたんだろうな。
1895年からの歴史のうち1949年の合併設立に
際して西京大に名前変えたけど、わずか10年で
再改名してるんだから。 現:京都府立大学
少なくとも当時、京都で西京って呼ぶことがそれなりにあったわけだよね
つけた学長は京都市生まれ京都市育ち京都大学だしな
最初につけようとした名称は「府立京都大学」だったらしいけど
さすがに「京都大学」と間違えるからダメとなった
西京区「・・・・・・・・」
また曰くつきの名称だすねぇ
西京区ってかなり後でできた区なんだよね
読み方も京都っぽくなくて間違えちゃう
西京焼き旨いからいいじゃんw
鹿児島にさつま揚げないし、明石に明石焼きないようなもんだろ
『さつま揚げ』ってサツマイモのテンプラ?
広島風・・・おっと誰か来たようだ
「広島風」はセーフ
「広島焼」がアウト
関西行きたいねん
@hahumin
よく漬け込んだよな。まったく違う形に仕上がったものな
串に刺した蒟蒻を焼いて味噌漬けて食べるか
串に刺した蒟蒻を煮て味噌漬けて食べるか
この差だからね
豆腐の焼き田楽→蒟蒻の焼き田楽
→蒟蒻の煮込み田楽→汁入り蒟蒻の煮込み田楽
魚粉をかける静岡おでんとか名古屋の味噌おでんとか
半分ぐらいは「黒輪」で「オデン」だよ。
親くらいの年代の人はまだ使ってたと思うよ
コンビニおでんも衰退したよな
「かんとうに」で出てくるんだけど?
ATOKは出てくるよ
関西は無制限
関西に伝わった関東風おでんが、関西風にアレンジされて関東煮(かんとうだき)と呼ばれたんでしょ
関西ではおでんなんて呼び出したのは戦後から
濃口とも薄口とも違う高級感があるぞ
失礼な!俺はしんせいだ!
「さえずり」というタネも美味しんぼで知った
関東風おでんでなく、関東炊きになったんだな
お好み焼きよりさつま揚げと天ぷらみたいなもんだ
忍者?
豚の頭とかのゲテモノが中に入ってるんだと思ってたわw
リキとテツが学生服姿でずぼらやに入っててっちり鍋と瓶ビールで乾杯するやつだよね。
関東炊きは南極です違反にならない。
関東煮から名古屋風みそにかわるんやで
あとクジラとかネタにあるな、関西は
関西のおでんなんぞ、生臭くて大嫌いだな、俺は
歴史ある関東のおでんが最高に旨い
日本でこんにゃくが発展した理由は栄養だけどね
銀座とか新橋のおでんの老舗はとっても薄口w
何か落語のマクラで、そんな話をしてたのを聞いた事がある。『関西風関東煮』みたいな
言い方で。
https://www.nagoyatv.com/archives/074/201812/large-6e450640dc25e0d32ec80cbd2a6524f4.jpg
静岡のおでんはいいものがある
沖縄のも美味かったけどな
今保存の為に塩や色々添加した練り物を積極的に食べる理由はあんまり無いなあ
好きで食べる人に止めろなんて言わないけどさ
かなり古い言い方。多分、昭和50年頃以降はあまり言わない
かんさいだき
今残ってないのは、
不味くて淘汰されたせいだろう
1980年代から大阪もコンビニが
「醤油煮込みのおでん」を販売したから、
関東煮も「おでん」になりました。
ちくわぶやフワフワはんぺんが入っていたら関東風
と思っている
ちくわぶやフワフワはんぺんは不味いから関西風のほうが好き
お前に聞いてない
黙ってな
おでんにはやっぱりちくわぶが入ってへんとあかんよなあ
ちくわぶのないおでんなんか食えたもんやあらへんで
関西で世間一般おでんで通じるようになったのはコンビニでおでんを売るようになってから
黒くないおでんだな
関東で関東の味を守ってる老舗はもっと黒い
両方もらおう。 ハラヘッタ
関東のおでんってこんな真っ黒なのか
でも、すじ(さかな)は見かけない
どうでもいい
おでんでいいだろ
それとも恵方巻きみたいにコンビに主導の商売か?
関東大震災の炊き出しで生麩が手に入らなかった代用で生まれたとか。
江戸時代からあるから違う
江戸時代からちくわぶがあるというソースは?
それに関西おでんの特徴は牛スジとタコとコロなんだよ
アンタさっきから嘘が多いな
すき焼き、
牛肉を砂糖で焼く→関西
牛肉を醤油で煮込む→関東
こんな風に当時の食通にダメだしされてた煮込みが本当の関西のすき焼き
>上方のすき焼はこれとまったく反対だ。初めから野菜を鍋の中で脂肪で一度炒めてから煮てかかる。
>だから肉汁のうまい味、それがビフテキの醍醐味ともいえるものは、どこへか影をひそめるのである。
>そしてだしが出来ていない。できているのは薄い湯のような味のない澄んだだしだから、砂糖と醤油をむやみに入れる。
本願寺の当主にもダメだしされてたね
すき焼きは焼きが入ってるように関西風のが元祖
東京のは牛鍋が関西からすき焼きが入ってきて
変化したものだから
当時の関西のすき焼きってこんなのだぞ
>我邦人はスキ焼なる料理法を好み、牛肉を見ればスキ焼ならざるべからずとし、
>その質の如きは問ふ所に非らず。而もスキ焼なる名しょうのみを用ひ、真正のスキ焼を決してなさず。
>肉菜の混煮をなし、甚だしき多量の液汁を使用せり。是の如くしていどこにか焼の字を用ゆる必要ありや。
大谷光瑞に酷評されてる
>>203とか読む感じだとな
>当時の関西のすき焼きってこんなのだぞ
>>我邦人はスキ焼なる料理法を好み、牛肉を見ればスキ焼ならざるべからずとし、
>>その質の如きは問ふ所に非らず。而もスキ焼なる名しょうのみを用ひ、真正のスキ焼を決してなさず。
>>肉菜の混煮をなし、甚だしき多量の液汁を使用せり。是の如くしていどこにか焼の字を用ゆる必要ありや。
>大谷光瑞に酷評されてる
まだお前いたのか
ウゼェ
間違ったウンチクばかり並べやがって
もしかして大谷光瑞知らないってわけではないよね?
失せろ
うわー知らないんだ
上方の有名人なのに
お前キチガイだな
息を吐くように嘘を吐く
嘘を百回言えば本当なると思っているお前
まるで韓国人マインドだな
お里が知れるわ
そうか九条のとこの旦那は嘘つきか
大正天皇の義理の弟なんだけどな
たいそうな物言いだ
大阪民国の輩が日本のおでんをパクった”なんちゃっておでん”と区別をつけるために勝手に呼んでるだけ。
鯨が手に入らなくなったんで、代わりに牛筋とかアキレスとか入れだしたんじゃないのかな?
かんと炊きのカントは広東のカントや
田舎でも、それぞれに文化があるということで
お好み焼きも習ったものだぞ
たこ焼きも開発したのは、会津出身者
大阪には創業170年以上のおでん屋あるぞw
トンキンおでんは関東大震災時に関西の料理人が炊き出しで振る舞ったのが起源だろ
だからトンキンで老舗おでん屋って関西出汁だろw
それ関東炊きの店だろ
お多幸のどこが関西風?
息をするように嘘をつくとは、まるでどこかの国の人みたいですね。
なぜなら関東風おでんにすると、ツユが濃くて具材がわからなくなるから。
そもそも田楽というのは、豊作祈願の為に竹馬に乗って田んぼで行う踊りのこと。江戸時代の初め頃に
豆腐(当時のは固い)を串に刺して焼き、味噌を塗ったのが豆腐田楽(形が似ている)で、それがおでんに
なったんだよね。つまり元々は煮物ですらない。
東京の下町のおでんでは定番だね
すきやきを提供して東京の人たちもすきやきを食べて
喜んでたがその後、関東の人たちはすきやきを焼くのではなく
関東にあった牛鍋をベースにしたものを
すきやきとよぶようになった
その後、暫くしてから、かんとだきと、おでんは同じものだとわかった。
広東や!」と怒った口調で言ってたぞ。
美味しんぼなんざあんまり信用するな
作者少し(少しかよw)危ないやつだし
かつて
「よお煮えとるで」
チクワブとかいうゴミを、食べ物に入れるな
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
.
あれはもうちょっと手前が境界線だったような
大井川のあたりだったかな?
「江戸のおでん」をウマいウマいと異常に絶賛してたな
当時は汁だくおでんが関西になかったのか
原爆を思い出すから?
その呼び方だと広島風お好み焼きのことだけど、そういう風習はないってことだろう?
「広島焼き」名乗ったら、大阪のお好みの方が本家であり、そうすると広島が支流扱いされるのが、我慢出来なかったからでは?
まあ、お好み焼きは東京が最初だけどな
大坂が元祖な顔してるけどどっちも亜流
>>まあ、お好み焼きは東京が最初だけどな
アハハ、良くわからんけど莫迦な爆弾を投下したなw
銀座が最初だよ。
ちな、「お好み焼き」を看板にした一番古い店は浅草にある
東京のお好み焼きって少しずつ食べる分だけ
焼くんじゃないの?
家でも、そういう風にして「お好み焼き」と
言って食べてた
何十年か前、関西系のお好み焼き屋でそれやってたら、おばさんが
「あのね」と言って全部鉄板にあけて焼きだしたんで
びっくりした
そんなことないよ
もんじゃと勘違いしてるのかな
【大阪人失神】お好み焼きの発祥は東京という説が有力
https://rocketnews24.com/2013/02/22/296188/
ガキだったがすぐにわかったぞ。 関東にこんなえげつない食い物ないぞ。下品な物食べたいなら食べたいって素直に言え、いちいち関東になすりつけるなって。
俺は台湾の7-11だったなw
https://livedoor.blogimg.jp/tabetaiwan/imgs/8/8/88856ae1.jpg
甘い牛肉なんて気持ち悪いな
1位 大根
2位 卵
3位 スジ肉
4位 厚揚げ
5位 こんにゃく
6位 ジャガイモ
7位 ごぼてん
8位 ちくわ
9位 昆布巻き
10位 ひらてん
メチャうまいよ。
400年の都をなめちゃいかんですよ
江戸時代、みやこは畿内・上方の京だよ。
畿内・上方(京・大坂)から江戸へ下ってくる物や酒は
下りもの、下り酒と言って江戸の人たちは喜んでた。
https://www.kikumasamune.shop/blog/?p=256
京の朝廷が征夷大将軍を任命してて徳川は関東の江戸を拠点にしてたが
幕末に徳川から畿内・京の朝廷に大政奉還→王政復古で新政府が誕生して
その後、江戸府を東京府に変えて明治2年に政府を京都から東京に移して
府を東京府、京都府、大阪府の三府に減らして政府がある東京府が
首府(現在、首都と言ってるのは首府のこと)と言われるようになったが
京に御所を残して東京遷都はせず、東西両京ということで
東京奠都(京をみやこのままにして東京もみやこにした)ということにしたが
その後、首府機能も全て京都から東京に移していったので京都は衰退した。
京都は平安時代とかめちゃくちゃ人口が多かったんかな?
首都でしょ?
えらい新し街どすなあ
それ全部パクリだろ
発祥捏造とか恥ずかしくないのかトンキン
なんで握り寿司がパクリなん?
そういうのでない料理が江戸・東京
江戸、明治時代は役割分担ができてたんだな
>それは上方では、上手な料理人がいるからできるだけ料理場で腕を振るう。東京は料理が達者でないから客に任せるという訳だろうか。
>それと簡単で早いところからも鍋物を江戸に発達させた原因だと思う。
大阪では「横浜食」と言ってるのだろうか?
昔からの老舗は東京から伝わった客が焼くスタイルをとる場所もあるけど
ほとんどは店が焼くように変わっちまったな
親はいつも、今晩はかんとだきするか?みたいに言ってた
関東炊き
名古屋は関西風のおでんだし、うどんも知らないうちに関西風に完全浸食された
赤味噌のおでんやラーメンもあったが、あれは受け付けなかった
知多半島に白醤油てのがあるから名古屋は関西風じゃないぞ。
名古屋はカツオだし+白醤油になるから見た目や味は関西風に近くなるけど別物。
結局関西に軍配が上がったんだけどねw
それなぁ
唐突なトニたけ先生ネタ
インスタント出汁
コンビニ販売
あたりのおかげで、「おでん」に統一
おでんとかは東京のもの自体もアレンジと言えるけど
茶葉蛋は?
あれはおでんじゃないだろ・・・
天安門事件の年、ウルムチを超えてカシュガルまで行って
国内時差がないから、まだ日が出てるのに夜の八時で店が全部閉まって
屋台で晩飯として、いっぱい食ったわw
おおよそ一つ300円~500円
ちょろっと食って二杯も飲んだら5000円だぞ
静岡とか地方ごとに違ったり?
地方によって違う
差がわからない人もいるみたいだけどね
セブンイレブンは出汁の味を7地域ぐらいに分けてる
関東炊き・・・ちくわぶが入っていない
昭和初めの関東煮のレシピに竹輪麩って書いてあるよ
東京の肉まん、ラーメン・・・
大阪のお好み焼き、串カツ、オムライス、オムそば・・・
横浜のシウマイ・・・
神戸のソース、豚饅頭・・・
赤塚不二夫がいなけりゃ今でも関西はかんとだきだよ。
元になったタコの広東煮と東京発祥のおでんのつながりもよくわからなんのに
信じるなよお前ら
あれが本当だと、創業時どころか
しばらく関東煮を作ってなかったことになるんだよね
または、かなり後で内容を変えたか
改良の具体例は全く挙げずに大阪で進化したとか意味が分からん
損ばかり
関西で日本として独立するべきやで
なお関東煮にはんぺんは入れない。そもそもはんぺん何やそれみたいな反応だ
基本的に、関東の食文化は貧相なんだよ。
ちくわぶ然り、白はんぺん然り。
形も今のちくわぶと同じ形をしている
しかし東京の貧困層の人々には夢のまた夢
それ故、白ちくわの形を模して小麦粉で作った今のちくわぶが誕生したと言われている
もう一つ京都の麩の代用品という説もある
すくなくとも江戸時代には
ちくわの代用としてちくわぶが使われてたのは
わかってるわけや
江戸時代ではない
明治後期から大正にかけての話し
なんで大正とか出てくるん?
明治時代に江戸時代の風流を書いたものとして残ってるのに
どん兵衛も関西版と関東版では味付けが違う
どの地域も様々な出汁を使ってるのに
自分のところをだし味と言う
汁は無料でお代わりできる。
平成生まれの大阪人はカントダキという言葉は使わない。
ゲロばもんじゃだろ?
自分の感性や味覚に合うものを食べるのが一番の幸せものだよ。
そこに上下は、無い。
それが重要だ
「関東煮」なら「天ぷら」じゃないのか
金沢おでんが最強ww
の三つが最初わからない大阪の言葉
3個目が通じないのはほんと一部の人だけ
とうもろこしをなんば
「かんとだき」と「にぬき」は大阪人でも平成生まれは使わない
主食は?
おでんって煮物だぞ
ご飯食べないときもある
一応用意しといて食べたい奴には食べさせるかな
昔、新橋演舞場のおでんには茶めしがついた
歌舞伎座のおでん定食は白飯がついたような
でもそれは記憶がはっきりしない
自分はライスはいらない、と言った気がするけど
じゃあなんで西のお方はワテらが元祖みたいな顔してんの?
おでんの名称は京都で生まれたものだし
お好み焼きは東京だけど
今の神戸のニクテンみたいなのが東京から関西に伝わり、それが広島風お好み焼きになった
そのあと、また東京から混ぜて焼くスタイルが大阪に伝わって、今の関西風お好み焼きになった
そう広島のお好み焼きマニアの本に書いてあった
よくこんなもの食べてるよね
東京人ってどれだけカッペなんだとw
東京人って小麦粉そのまま食ってそうw
おでんでも通じるが、両親は
かんとに
と言っていた。
かんとには田舎臭い表現なので
今はおでんと自分は言う。
関東煮 = 丁度バランスの良い出汁加減で美味しい、素材の味もしっかり味わえる
誰でも食えばすぐにわかると思うが
広東煮って
「関西人の関東に対する劣等コンプレックスの現れですな」と返される件だな
事実を言うのは劣等コンプレックスには、なりません。
、美味しんぼの京極さんの発言が事実かどうかは知りませんが
発言者は事実と思ってますから。(作品内の設定)
そういうのは作者に言ってくれな
実際、広東だったら色々と大阪が困る
おでんはぐつぐつとならんようにトロトロ弱火で煮るんだが
関東煮は字のようにグツグツと強火で煮込む
おでんも関西に伝わってから今のように洗練されたらしいぞ。
だいたい食べ物の発祥時のモノは洗練されてなくて不味いやろw
これガチ
かんとだき→◯
キムチと同じ
大阪おでん「かんさいだき」は、あの名優も愛した手作りの味
https://lifemagazine.yahoo.co.jp/articles/337
関東煮(かんとだき)= ベースは関東おでんだが、味付け 調味料 おでんの具等を、関西人が自由にアレンジしたものを関西人が食べるおでん
静岡だっけ、魚粉かけて食べるおでんがあるのは知ってる
あと味噌田楽
関西は先に肉焼き。その後味付け。 砂糖と肉のカラメル焼き風
関東は先に野菜 豆腐 シイタケ すき焼きタレで加熱して肉以外が食べられてる状態にしたあとに肉を後乗せ
関西は薄口醤油と昆布だしがベースの味付け
関東は濃い口しょうゆとカツオダシがベースの味付け。
卵焼きは関東が砂糖たっぷり 醤油入れ。パンチが効いた濃い味付け。
関西の卵焼きは砂糖少な目 塩少々。ダシ汁を加える。 ダシが効いたマイルドな味付け。
関東も肉は先入れが基本だよ
割下を肉がギリギリ浸るぐらいまで入れて煮焼きする
ネギだけ一緒に入れるところもある
関西風のすき焼きって肉を甘辛く焼いた後にどうするの?
肉だけ先に食べきって、残りの鍋で野菜を煮るの?
それとも焼いた肉をさらに野菜と一緒に煮るの?肉のが抜けない?
身近な存在じゃないからこその高級路線が成り立つ感じかな。
歴史をさかのぼること400余年。
江戸の佃島(現在の東京都中央区)の漁民が、江戸前で捕った小魚や貝類を甘辛く煮て食べていました。
当時、冷蔵庫なんてものはもちろんありません。
佃島漁民が、売り物にならない小魚等を保存もできる形で美味しく調理したのが「佃煮」という名前の由来。不漁の際の備蓄食品でもあったといいます。
これが、安価で日持ちもすると江戸中で評判を呼び、やがて全国に広まったのです。
徳川家康の特別待遇を受けた佃の人々
佃島の漁民の故郷は、実は関西の佃村(現在の大阪府西淀川区佃)。
かの徳川家康が江戸に入来の際、摂津の佃村に住んでいた漁民たちを江戸に呼び寄せ、特別の漁業権を与えました。
なぜ佃村の漁民か?なぜ特別待遇か?そこには大きな理由があります。
家康公が生涯忘れることのできない苦難に遭遇した際、こぞって公を助けたのが佃の漁民だったのです。
関東の醤油メジャー キッコーマン ヒゲタ ヤマサも元々関西発祥で江戸時代に江戸にやってきた関西醤油ですから、
本来 関西で長く食べられていた味付け 食べ物が東京 関東で残っていて
今、関西で食べられてる薄口醤油 昆布だし ダシ汁優先の関西風料理 味付けは
近年 明治後に出来た元々 関西で食べられていた味付け 調理方法ではないと指摘する人がいます。
又、関東では、当時高価だった砂糖 濃い味付け醤油を多く使わないと、生産元が生き残れず、
関西では、高価だった砂糖 食材を使わず、昆布ダシ 薄口でも庶民をコントロール出来たのではないか。と指摘する人がいます。
グツグツうらめしそうな顏の猫の生首が煮られている。
初めて関東煮って言葉を知ったのは、嗚呼花の応援団って漫画だった。
1616年(元和2年、大阪夏の陣の翌年、江戸開府13年後)、
下総の国・銚子の豪農、第三代田中玄蕃が、摂津の国・西宮の酒造家、真宜九郎右衛門の勧めで、銚子で醤油の醸造を始めたのが当社の創業で、関東で最古の醤油業です。
当時の醤油は、大豆を主に使用した「味噌たまり」のようなものだったそうです。その後、小麦を入れるなど製法を見直し、濃口醤油が生まれたんです。
ヤマサの歴史
醤油の元となるものを作ったのは、鎌倉時代、紀州由良(現在の和歌山県日高郡)の興国寺の僧であった覚心だといわれています。
覚心が中国で覚えた径山寺味噌の製法を紀州湯浅の村民に教えている時に、仕込みを間違えて偶然出来上がったものが、今の「たまり醤油」に似たものだったのです。
ヤマサ醤油を創業した初代濱口儀兵衛は、醤油発祥の地である紀州湯浅の隣りの広村(現広川町)の出身。
濱口家の家長は代々、紀州広村にある本家と銚子を行き来していました。
初代濱口儀兵衛が紀州から銚子に渡り、ヤマサ醤油を創業したのは1645年(正保2年)です。
新しい漁労法で大成功をおさめて銚子外川港を作った、同じく紀州出身の崎山次郎右衛門という人物に刺激されて銚子での商売を始めたのではないかといわれています。
以来、ヤマサ醤油は創業から3世紀半以上、途中若干の起伏盛衰はありましたが、12代に渡り品質の高い醤油を作り続けてます。
同時に、銚子は気候が醤油作りに最適な紀州とよく似ていることもあり、漁業だけではなく醤油の町としても発展していきました。
ヤマサ醤油の明治18年のウスターソースの証拠ってまだ見つからんのかな?
阪神ソースの創業者の明治18年のウスターソースの証拠は見つかったんだけどな
>>347
ウナギは関東の蒸しありの方法が客が来た後に時短になる方法だよ
関東も昔は関西と同じだった
かんとだきと言う人は大抵がジジババ世代。
「20~50代の主婦1400人に対して行ったアンケート調査で、おでんの好きな具材を尋ねたところ、
1位は大根、2位は卵。これらはどの地域でも人気です。
そして東京においては、3位にはんぺん、4位にはちくわぶが入っていますが、
大阪はランク外。かわりに大阪では、東京でランク外の牛すじが4位でした」
全国各地にご当地おでんが多数あるそうで、
「種ものをしょうが味噌ダレで食べるのが青森風おでん。
黒はんぺん・牛すじだしで、黒いつゆが特徴なのは静岡風おでん。
かつおだしに八丁味噌を加えて煮込む名古屋風おでん、
鶏だしが特徴の博多風おでん。
あごだしでコクを出した長崎風おでん、
豚足などを入れる沖縄風おでんなど、バラエティー豊かです」(前出の紀文・広報)
うなぎかば焼きは、関西の蒸し工程無し 背開きは、
実は、調理時間短 手間暇減の調理方法であって、美味しいうなぎのかば焼きに仕上げる事よりも、
店側の提供側の都合を最優先にした かば焼きスティルなのではないか?と指摘する人がいます。
又、関西の食べ物 味付けは長く関西で食されていた味付け 調理方法と違うのではないか?と指摘する人がいます。
畿内(近国も含めたら近畿)ではすき焼き、関東では牛鍋を食べてたが
関東大震災の時に大阪から助けに行った人たちが炊き出しで
すき焼きを食べさせてあげたら東京の人たちは喜んで食べてたが
その後、関東の人たちは自分で作るようになって
牛鍋をベースにしたものをすき焼きとよぶようになった。
千葉 江戸 東京の地場醤油生産所、茂木・高梨を中心とした200近くを合体させ、
その後ブランド統一したのがキッコーマン醤油でした。
キッコーマンの商標は経営者の一人が信仰する千葉・香取神社の山号「亀甲山」と「亀は万年」をかけ、「亀甲萬」となったそうです。
1917(大正6年)
野田醤油株式会社設立
万上味醂株式会社設立
1927(昭和2年)
商標をキッコーマンに統一(東京市場)
1940
商標をキッコーマンに統一(全国)キッコーマン:http://www.kikkoman.co.jp/index.html
関西発祥のヤマサ ヒゲタに負けてられねーと千葉の小さな醤油メーカーが200近く合体したのがキッコーマン醤油でした。
キッコーマン醤油 万上本みりんは千葉。
>>352のがヤマサだよな
かんとだきとおでんは別物。
かんとだきは黒い。おでんは出汁が透明。
ビールのつまみにも向いてないし
そのときは濃い口醬油ではなかった。
摂津の国・西宮の協力を得て出来たヒゲタ醤油が1600年代に独自改良で千葉で濃口醤油が誕生した。
紀州のヤマサも、ヒゲタ濃口醤油に対抗する為に、少し遅れて1600年代濃口醤油にメイン商品を切り替えた。
ヒゲタでもヤマサでもない千葉 江戸で代々醤油作りしていた家も濃口醤油でヒゲタ ヤマサに対抗した。
江戸 関東の人達は濃口醤油を熱狂的に受け入れ支持した。
濃口醤油誕生前の旧醤油は江戸 関東からほぼ姿を消した。
地場醤油生産所、茂木・高梨を中心とした200近くの醤油を吸収統一合体した千葉醤油メーカー キッコーマンが誕生した。
キッコーマン醤油 マンジョウ本みりんが醤油争いでトップで現在も君臨する事となった。
後を追う。ヒゲタ ヤマサ。
関西地方 大阪では、現在でも濃口醤油誕生前の薄口醤油が好まれている。
お前らを見損なった
北海道でとれた昆布を、波の荒い太平洋を通って
江戸まで持ってくるのは難しい
これが関東で昆布だしがなかった理由
その点、関西では波が穏やかな日本海から
舞鶴に入ってきたから手に入れやすかった
北海道の昆布が東京に入ってくるようになったのは明治になって鉄道が開通してからだからな
昆布締めが それより前からあったの
鍋に野菜 豆腐 白滝 牛肉全て熱が通り 味付けが出来て有り、
すき焼き鍋を食べる側が、美味しそうだな~。どれから食べようかな。やっぱ肉かな。
私は先に野菜を食べたいわね。と
食べる人がお好みで自由に好きな具を選べるタイプのすき焼きです。
関西風すき焼きは、縛りがあって
先に肉 牛脂 醤油 砂糖で、
まず先に醤油 砂糖 すき焼き肉をカラメル焼きしたお肉を食べましょう。
肉を甘辛く焼いた後に
そこで肉から出た旨味 醤油砂糖エキスが鍋に残ってますので
肉食べた後から野菜をぶっこんで食べましょうね。
と言うすき焼きの食べ方が固定されたスタイルです。
どれたべようかな。と選べるのが東京すき焼き。
すき焼きとはこういうもんや。これがすき焼き道なんだ。と食べ方固定 調理方法固定が関西のすき焼きです。
とちらが良いかは知りません。
関西のすき焼き すき焼きというのは、これなんや。これしかないんや。すき焼き道 決定済みスタイル。
1600年代に千葉で濃口醤油が誕生し、千葉 江戸 関東で濃口醤油が熱狂的に支持されたが、
大阪では新しく生まれた濃口醤油が支持されなかった。受け入れられなかった模様。
すき焼き肉 甘カラ焼き 肉が焼き終わった後に、野菜 すき焼き具投入。
鍋に残った牛エキス すき焼きタレエキスが少なくなったら、
またスタートに戻って肉を焼く。肉の次は肉以外の具。
東京は全国各地から人が集まる地域ですので、
食べる側の食べ方の自由を重要視したすき焼き鍋になっているものと思われ。
前者はいわゆる牛鍋
後者がすき焼き
「タイターン」、「オーディーン」って単語が聞こえてきたから
お?北欧神話か?意外と学あるやんってよく聞いたら
「おでん、たいてん」って言ってただけやった。
池波正太郎が書いてる通りだぞ
野菜と肉を一緒に煮るとか言ってると貧乏がバレるぞ
食べて鍋から無くなった肉 野菜 すき焼き具材を減った分だけ追加投入して
すき焼き鍋完成スタート状態をキープし続ける事を主としたすき焼き鍋完成状態永遠維持スタイルが東京のすき焼きです。
関西のすき焼きは、東京のすき焼き鍋完成系維持とは別の食べ順固定。先に肉。次に野菜 すき焼き具。
鍋に残ったすき焼き肉エキス すき焼きタレがなったら、振り出しに戻って肉を牛脂 醤油 砂糖でカラメル焼き。次に野菜 その他
鍋に残った牛エキス すき焼きタレエキスが少なくなったら、
またスタートに戻って肉を焼く。肉の次は肉以外の具。これを繰り返します。
どっちが好きかはお好みでと言う事だな。
関西の場合、すき焼き肉を上物肉すると、物凄く上手くなるし、肉を落とすと不味くなるリスクがあり、
東京スタイルのすき焼き鍋は、牛肉の質を落としてもそこそこ美味しいすき焼き鍋に出来ると言う利点があります。
どちらも長所 短所をもったすき焼きです。
東京のすき焼きは肉の質の良い悪いの影響を最小限に防ぐ庶民の知恵が入った安定して旨いすき焼きですな。
関西風すき焼きは肉の質が良ければ、肉が凄く美味しくなるメリットがあるが、
普通肉だと、旨さがガクンと落ちるデメリットがある。
明治大正期の上方・東京の食通に酷評されてた
関西のすき焼きの作り方が
現代の関西人の思う関東のすき焼きになってる
「甘い」「鯨をタネにしてる」
これ
関東風おでんとは犬猫処分場から処分された犬猫を譲り受けて
それで出汁をとるが丁寧にアクを取らないと生臭みが強くなる
生臭みを無くす為に大量のニンニクを入れるのが秘訣
おもんないわー
https://dailyportalz.jp/kiji/140604164280
すき焼き、牛鍋は勘違いが多い
関西の昔のすき焼きはこの記事ではわからん
松坂牛 高級黒毛和牛を使った割烹 料亭で出されるすき焼きであって
単に富裕層が外で食べるすき焼きになってるね。
使用肉がすき焼き用上肉以外は、やばそう。
普通に買える食材で作れる家庭料理のご馳走 すき焼きから離れている。
ご馳走とか美味しい鍋料理というものは、食べるの人の前で、わーいろんな具材が沢山並べてある鍋だ。
どれを食べようかな~。これにしようかな。あれ食べようかな~。
何食べようかな~。あれにしようかな これにしようかな。と言う家庭内での幸福感が無いね。
関東風すき焼きは豪牛 米牛 国内乳牛 薄切りであればすき焼きでいける。
関西のすき焼きは富裕層の年寄りが食べて満足する仕様になっている。
誰に喜んですき焼きを食べてもらうかのメインターゲットが東西で違うようだ。
関西のすき焼きが混煮だったのは文献が物語ってるんだよ
サルトル煮き
なんで喧嘩するんだか
関東炊きは、おでんに関西アレンジをした薄口醤油で作られた関西のおでん。
関東炊きでは牛スジが入ります。
https://www.kyounoryouri.jp/recipe/19390_%E9%96%A2%E6%9D%B1%E7%82%8A%E3%81%8D.html
牛すじのゆで汁をだしとして使った「関西風おでん」を紹介します。手羽元も入ります 神戸で日本料理店を営む
https://www.kyounoryouri.jp/recipe/10302_%E3%81%8A%E3%81%A7%E3%82%93.html
関西おでんは牛筋 鳥手羽などが入ります。
関西地方では美味しいちくわ 練り物 魚介練り製品で他地方ほど品質 味 量確保できなかった影響があって他地方ほどおでんが定着しなかったのではないか?と指摘する人がいます。
牛筋 手羽元などに頼ったのではないか。と指摘する人がいます。
手持ちのネタで、美味しいおでん魚練り食品確保に苦戦した結果 牛筋 手羽元など動物系に
頼ったのではないか?
美味しい霜降り牛肉が手持ちにあったので、
まず霜降り関西和牛の肉の旨さを生かす醤油 砂糖に霜降り和牛すき焼き上肉をさっと焼くカラメル焼きスタイルになったのではないか?
と指摘する人がいます。
関東では、どんな牛肉でもそこそこ美味しいすき焼きになるように、現在の東京すき焼きになったのではないか?
おでんは新鮮な魚介練り加工製品が下々まで豊富に流通していた東京 関東では現在のおでんになり、
新鮮な魚介練り製品確保できなかった大阪おでんは、牛スジ 鶏手羽 動物ダシを追加したのではないか?と指摘する人がいます。
と指摘する関西すき焼きに苦言を言う人がいます。
おでんはもうスーパー等で、一定レベルのおでん種が安く買えるので、
関西おでんに牛スジはもういらないのでは? 必要ないのでは?と指摘する人がいます。
今は関東風の真っ黒出汁おでんのほうが見かけないね
国産乳牛 豪産牛 米産牛 豚肉 鳥肉の時は東京すき焼きにして使い分けた方が良いな。
おでんは基本的にカツオだしに動物ダシは相性悪いから、
牛スジ 鶏手羽使いたいときには別の煮物した方が良いな。
オレオレすき焼きで荒らすな似非関西人
他の田舎のおでんってなんだよ?w
貧乏食=関東の食習慣
関西人「繊細なダシの旨味ガー(ソースドバー)」
市場に出せない魚介、小さな魚介が大量にとれる地域のおでんは魚練り製品の質が良くおでんや寿司 天ぷらが旨い。
海に離れた山間地では、うどん そば 米 餅 餅菓子 漬物 果物 果物の干し物などが旨い。
大阪の牛スジは、おでんの具 魚練り製品から出るダシを台無しにする。
海沿いはおでん 寿司 天ぷらが旨い。米 せんべい あられ 海苔が旨い。
海から離れた山は米 うどん そば 果物 栗 餅 餅菓子 漬物が旨い。寿司 天ぷら おでんは不味い。
大阪のすき焼きは高級和牛で年寄り富裕層が喜ぶすき焼きで
東京のすき焼きは子供たちが喜ぶすき焼きです。
ちくわもどきのちくわぶw
東京人の貧乏根性がおかしいって言ってんのにさw
そば湯は 食べ物だったのか 飲むものじゃなくて
関東で明治 大正 昭和初期に人気となったおでんは流行らなかった。
市場に出せない魚介類 小さな魚 大きすぎる魚等が大量に確保できて
美味しいカマボコ ハンペン 魚練り製品 魚すり身揚げが充実してた関東でおでんは流行った。
おでんの具が弱い京都 大阪 兵庫はおでんは流行せず、牛スジ クジラ肉 鳥団子等、
魚練り製品の代わりに動物系具でおでんもどきにしたけど、関東ほどおでんは人気メニューにならなかった。
初めて美味しい人気メニューとなる。
大阪や関西では良い和牛 乾物は確保できるが、
おでんを美味しくする魚が取れずおでん種がなかった。結果 関西でおでん流行らず。
激安おでん屋台 駄菓子屋のおでん 商店街で激安で買えるおでん 下校時に子供が安く買えて食えるのが食べ物で、
その後 肉屋のコロッケ メンチ 菓子パン 洋食系安惣菜 揚げ物となる。
おでんは物凄く安く買える庶民でも食べれる料理だった。それで流行した。
関西は子供でも学校に帰りに安く買えるおでんにならず、駄菓子 粉もの焼き 麺になつたと思われ
レスペクトしていつもの関西の常識と違って濃い口醤油だけで作る。だからかんと炊きと呼ぶ、
だと思ってたがな。
鯨のコロが姿を消したときになくなったんだと思う
関東風の食い物は全国的には全く受け入れられてない。
食い物に関しては関東人の「うまい」は信用できないw
大阪のおでんにすると、
関東のおでん 東京のおでん 漁港でおでん種が豊富に取れる各地のおでんに
見劣りするおでんになってしまう。
大阪のおでんは不味い。と評判が落ちてしまうのを防く為に、
このおてんは関東煮だよ。 不味くても他地方のおでんより、劣っても
原因は大阪ではなく、関東なんだよ。と言う作り手側 提供側の責任転換の手法として
関東煮にと言う別名になったと言う人がいます。
大阪のおでんは他にまけせんでーー。にとてもならなかったので、
おでんの名が関東煮となったのだ。と指摘する人が一部居ます。
関東煮というおでん全国比較敗北原因を関東に背負わせた大阪のおでんが関東煮なのでは?と指摘する人が一部居ます。
その後、クジラ肉 牛スジ 鳥団子 鶏手羽元等 外部から具材を補強して
戦えるように補強した後に、おでん名称が大阪で表に出たのではないか?
負け戦確定の時は、関東煮 関東。
それなりの戦力補強 特色が出て 対抗できる大阪おでんになったときに、
隠してた おでん名称が 大阪で復活したのではないか? と言う人がいます。
コメント